名前のない関係性の男女関係(マッチングアプリで出会ったお兄さん)

2年前くらいに複数のマッチングアプリを同時並行でやっていたくれはです。

今日は、1年弱ぶりくらいに当時出会って今も親交がある方に会いました。

人と人との距離感の部分で思うところがあったので書きます。

マッチングアプリで会った人と続くってどゆこと?

私個人は、今日会ったKさん以外はその後特に連絡を取っていません。
(向こうから途絶えたり、こちらから切ったり、自然消滅とか…
たまに来ますが笑)
関係性が今も続いているのはKさんだけになります。

彼とは当時悩んでいた悩みを相談する流れで知り合い、
合計4~5回会っていますが、
お互い本名や仕事の詳細は知りません。

逆にそれくらいの距離感であるがゆえに
つかず離れずの関係性で、お互いに縛ったりプレッシャーを感じることもなく、
たまに連絡を取り合うゆるーい仲を築けたのではないかと思います。

名前のない関係性の二人

私たちの間柄に名前はありません。

彼氏彼女でもなければ、セフレや親友でもありません。

でも会えばお互いの考えや価値観、これまでの経験を真面目に話します。

いつもはお酒が入って酔っ払いながら
今日は彼が車だったのでお互いシラフでしたが、
3,4時間ずっと話してのでお酒は関係ありませんでした。

本業の仕事を真面目に取り組みながらも、
私からしてみたら随分とぶっ飛んだ聞いたことのない経験を積んでいる彼。

聞く人が聞いたらドン引きや軽蔑といった反応を示すこともあると思います。

でも私は全く動じません。

彼と私の間に一定の距離を保ってみていることもそうだし、
彼の価値観・行動理念・人生を尊重しているから
そこに対してジャッジが生じない
んです。

人間らしく生きる生き方

あるとき「なんでも全てやれ」というお告げのようなメッセージが降ってきて
実際に行動に移して、
これまで否定してきたこと、経験のなかった分野に積極的に挑戦した結果、
人生が大きく変わったというKさん。

彼からは、私の山梨移住に対して1ミリも否定や心配がなかったことが
嬉しかったです。

「選択したことに間違いなんてない」
「面白く生きたほうがいい」
「行動力は正」

Kさんだからこその言葉にパワーをもらいました。

婚姻制度に縛られる1対1の強制的な関係性の限界から、
心がヘルシーな状態が保てる内縁関係、男女関係を超えた夫婦関係、
ポリアモリーなどのトピックで
話をしました。

こういう話ができる人がそもそも貴重であり、
価値観が分かり合える、実践している人がレアであり、
知的に面白い時間でした。

「女性側からもっと声を大にして発信したほうがいい」
と言われたので、
早速ブログに書いてみました。

結婚・夫婦・パートナーなど

年収や職業や見た目などお互いに「許容できる」以上の多くの条件を満たす相手と出会い、
一定程度以上の恋愛感情を抱き、
無事結婚にこぎつけ、
その後も男女関係を維持しつつ、
家族としての絆も深めていき、
一生を終えるまで他所の異性に寄り道せずに添い遂げて死ぬ…

そんな非人間的なことって実際あるんでしょうか…?

恋愛感情はMAX3年で消滅することが脳科学や心理学の分野の研究で明らかになっています。
一夫一妻制はつい最近の「(国を統治する立場の)人間が考えて作った制度」であり、
人間の性に沿ったものではありません。

強力な制度や世間体を気にして一緒にいる相手、生活を共にする相手、人生を分かち合う相手を
惰性や諦めで変えられない人が多くいます。

でもそれは心の状態がヘルシー(健康的)なのだろうか、という疑問が湧きます。

たとえ夫婦の片方または両方がLGBTだとしても、
家族の絆という関係性を築くのには支障はありません。

ポリアモリー(多重恋愛)に理解があるパートナーなら、
お互いに同意のもと家庭の外部に恋愛対象を作ることだって可能です。

結婚とか夫婦とかパートナーって
正解も終わりもないから、
その当人同士でお互いにベストな形を探り続けるしかないし、
それが無理だとわかったら関係性を解消する(または距離を置く)しかないと思います。

逆に言えば、
そうなる可能性を孕んだパートナーシップの方が健全。
「今、なぜ一緒にいるのか」がお互いに明確だから、ヘルシーです。

逆に制度に甘んじて、そこに思考停止してしまうと、
どんどん甘えや依存や傲慢さが出てきて
どちらかに負荷がかかる関係性が出来上がるのではないでしょうか。

私は「もう結婚はしなくていい」という真意には、
上記のような前提と、ある意味の諦めがあります。

この考え方が変わらない限り、私が籍を入れることはありません。
あるとすれば、上記をちゃんと理解してくれる人と
「それでも籍を入れる理由がある」となった場合のみだと思います。


ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書777)

名前のない豊かな時間

今、絶賛他人に興味がない彼氏ノーサンキューの私と
まだまだ他人の人生に関わることに興味津々の出会いを求めるKさん。

お互いの近況や最近あった面白いこと、今考えていること、チャレンジしようとしていることを
酒も飲まずにシラフで何時間も話し、猫と戯れまったり過ごし
最後は我が家のキャットタワーの解体にご協力いただき
さよならしました。

この時間はなんだったのか?

東京を離れる前の送別会でもなく(お祝いのシャンパンはいただきましたがw)
定期的に開かれる近況報告会でもなく(結局食事もしないままおやつとジュースだけw)
仲のいい友達の引っ越し前の手伝いでもなく(1年ぶりの再会で我が家に来たのは今回初めてw)
宅飲み会でもなく、ましてデートでもなく。

名前のない関係性の男女が、名前のない時間を過ごしました。

私はこれを、新しくてオリジナルで人間的で豊かだな と思います。

特に何か利害関係や恋愛感情があるわけではない、
だからこその気安さと安心感も手伝ってか
リラックスして話したいことを話す楽しい時間の過ごし方でした。

まとめ

今回、指摘されたのもありますが、
圧倒的に自分が他人に対する興味を失っていることを痛感しました。

彼氏だなんだに興味が薄れているのは事実だが、
女として枯れたいわけでもない笑

この1年間、仕事と自分に向き合いことに精一杯で
全くそういう分野から遠ざかっていたことを改めて実感しました笑

別に無理して奮い立たせることはしないけれど、
次回Kさんに会った時に
面白く話せるネタが増えている程度に
いろんな人との出会いや化学反応を楽しみたいな、と思った次第です。

以上、徒然日記でした。

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